新しい道路一番乗りはできませんでした〔2508〕2010/02/26
2010年2月26日(金)雨
昨日の野見千軒の話。白鳳の南海地震で海の底に沈んだ大集落の話は、実はもっと大規模な話ながです。須崎から出た海に黒田郷という大きな村があったそうです。で、白鳳地震で沈んだのは野見千軒だけぢゃあ無うて大谷千軒、大坊千軒、戸島千軒と伝えられちょりますきに、少なめに見積もったとしてもかなりの古代集落がこの海沿いにあったことが推察されます。潜水調査でも色々と出てきちゅうらしいですね。
千軒町で思い出すのは、福山城の横にある広島県立歴史博物館で再現されちゅう草戸千軒町のジオラマ。中世に300年続いたとされる今は川に流されきってしもうた草戸千軒町は、あれを見る限り立派な中世都市。
須崎の沖には、ひょっとしたら立派な古代都市があったかも知れん訳で、妄想がかきたてられます。当時の主たる交通手段が船やったことを考えれば、太平洋から入り組んだ湾内に大きな都市があったとしても不思議ぢゃあないのであります。
さて、ここは今朝の南国市と高知市の境目。南国インターから高知東道路をまっすぐ南下してきた所で、今朝、こっから南へつながる道路が開通したのであります。6時過ぎに出勤した際には、まだ開通前でした。で、7時前にもう一度行ってみると、このように開通しちょりました。う~ん、開通一番乗りをやってみたかったがですがね。まあ、こっから南の道路は山に突き当たって行き止まりですきに、まだほとんど車の通りやあしませんので、一番乗りぢゃあないにしても十番乗りくらいには入れちゅうと思います。
目の前を横切る道路は国道55号線で、空港連絡バスが空港へ向こうて走りよります。
この新しい道路は、この南、向山戦争遺跡をつぶしてできるインターチェンジで高知県東部へ向かう自動車専用道につながる予定。人口が減るなか、新しい道路だけは粛々と建設されていくニッポンの風景です。