幕末、五台山のお馬岩〔2509〕2010/02/27
2010年2月27日(土)曇っちょります
今朝は久々に五台山をたつくりに行っちょりました。兼山神社をお参りして一気に頂上まで駆け上がると、久々ですきに心臓ばくばくで心地良かったです。お四国の三十一番札所、竹林寺は、朝から賑わいよりました。美しい庭園が人気です。
牧野植物園は、南門が、温室新築工事のために閉鎖されちょりますので、正門から入ってみました。年間パスを持っちょりますきに、便利ですな。
菜の花とかが美しい南園の方は、南門閉鎖中のためでしょうか、こじゃんと静かで雰囲気が良うございました。
南園からは、ここにあった、純信さんが住む南坊に、お馬さんがせっせと登って来た「「お馬路」が五台山東麓へつながっちゅうがをご存知でしょうか。メッソ知られちゃあしません。
この小径を下り、途中で左に折れてまた右へ折れると、古いお墓の多い所に出ます。その脇、ちょっと分け入ると、この、大きな見晴らしの良い岩が鎮座ましましちょります。これがあの有名な「お馬岩」。
幕末、龍馬伝のあの激動の時代、竹林寺南坊のエリート僧、純信さんは、家事仕事をやりに来てくれるアルバイトのお馬さんと仲良しになってしまい、この岩でビッシリいちゃいちゃしよったという言い伝え。ホントかどうかは知りません。
そのスキャンダルがよさこい節の歌に乗って全国に広がったがは、あんな厳しい時代やったきこそかも知れんですな。
この周辺に、宇喜多秀家の軍師として関ヶ原で活躍し、また、大坂の陣でも奮闘した明石掃部さんのお墓と伝わる墓石があります。キリシタン大名やったので、自刃ができんかった訳です。
このしゅっと下に、土佐藩で活躍した小倉家、土佐南学を確立した小倉家の墓所があります。古い古い立派なお墓が並びます。明石掃部さんは、大坂の陣の後行方不明ですが、仲の良かった小倉さんに呼ばれてここへやって来て、生涯を終えたという説があります。この人物、台湾へ行ったとか南蛮へ逃げたとか、色んな伝説のある、それだけ恐れられた武将やった訳です。
その伝説の残る墓所の横の絶景ビューポイントで、幕末動乱期、逢引きしよったがが純信さんとお馬さんやったがでしょうか。