筆山、潮江城と元親さん〔2503〕2010/02/21
2010年2月21日(日)晴れ!
ここは筆山。頂上から東側の、広うなっちゅうところ。ここは昔はお花見の名所で、こぢゃんと賑やかやったですね。病気にやられた後、また桜の木が植えられちょりますきに、近い将来また花見ができるようになるでしょう。
永禄3年(1560年)、この筆山には潮江城があり、朝倉城に本拠を置く本山氏配下、片山半兵衛さんが城を守っちょりました。左端に浦戸湾が見えますが、あそこから西側は本山氏の強大な勢力下に置かれちょったのであります。
そこへ長宗我部国親、元親の軍勢が攻め込んできました。
あの山の向こうに長浜城があり、湾を渡って奇襲をかけて来た長宗我部軍に占領されます。そして長浜、戸ノ本という平原で長宗我部軍の主力と本山軍の主力が大合戦を行いました。
どちらかと言えば長宗我部優勢のうちに合戦は終わった訳ですが、あの山を越えてこちら側へ引き上げる本山軍を追いかけて、元親さん率いる小部隊があの峠までやって来たそうです。眼下のマンションの真上辺りが丁度峠。2007年10月27日、29 日とかでご紹介しちゅう峠。
そこで、長引いた戦闘の疲れもあり、敵方の勢力圏に入っていくこともなかろう、ということで普通やったら引き上げるところ、若武者元親さんは、ここ潮江城を一気に攻め取ろうと下知を出します。部下たちはビックリ。
で、この写真の方角からこの山に攻め上ると守将の片山くんはもとより誰も残っちゃあしませいで、空の城。簡単に占領してしもうた訳ですね。
若き元親さんは、この潮江山の上の鳥たちが全然緊急事態を告げていなかったこと、城の幟とかが全然動きやあせんこと、そして、引き上げていく片山軍が、誰も潮江山を振り返りやあせんかったこと、つまり、山には誰も残しちゃあせんことを推理し、一気に占領することにした、という伝説が残っちょります。
そんな歴史の舞台、筆山を東へ下っていくと、江戸時代からのお墓がギッシリ。新しい墓所と古い墓所が混在し、無縁墓みたいなのも多い斜面。有名人のお墓も多いがですが、誰か知ったヒトの墓所はないろうかと思うて下りよったら下の端の所で見つけました。武市甚七さんのお墓。江戸時代中期の名工で、土佐の左甚五郎と呼ばれた、高知城の欄間とかで有名な方ですな。
ちょっとたつくっただけでも歴史が溢れる山、筆山でした。