島村衛吉さんと龍馬〔2478〕2010/01/27
2010年1月27日(水)見事な青空
ご覧の通りの見事な青空。ここは南国市久枝の海岸通り。こないだうちご紹介した前浜の東になります。
この立派な碑は、土佐勤王党員、島村衛吉(えきち)さんの顕彰碑。昭和43年に南国市が建立したもの。
このご近所で1835年に生まれた衛吉さんは、母親が武市半平太さんの奥さんの叔母で、幕末の土佐にあって勤王の志士として活動しました。
龍馬は、今、龍馬伝でやりゆうように、1853年に江戸へ剣術修行に行きました。千葉周作の弟の千葉定吉さんの道場。
衛吉さんはその翌年、まだ龍馬が土佐へ帰国する前に同じ千葉道場へ修行に行きましたので、たぶん同時期に同じ道場で修行しちょりますな。で、帰国後、1857年にもう一度江戸へ。
丁度その時期は龍馬も2度目の江戸で千葉道場に居りましたが、今度はどういう訳か衛吉さん、鏡心明智流の桃井春蔵塾に入門しちょります。同じ年の龍馬を避けたのかどうなのか、謎ですな。塾頭になっちょりますきに、強かったことは間違いないですね。
1861年に武市半平太さんが土佐勤王党を結成した際、まっさきに加盟しました。その後は吉田東洋暗殺とか本間精一郎暗殺とかに関わり、幕末日本を駆け抜けます。勤王党の獄でつかまり、凄まじい拷問の果てに亡くなったそうです。32歳。龍馬と同じような経歴から、過激な活動へと走っていったがが衛吉さん。海沿い、浜のヒトはハシカイというがもありましつろうか。龍馬や半平太がしゃべりよった土佐弁よりもっとガイな浜ことばをしゃべりよったと思われる島村衛吉さん。大きな顕彰碑は、真っ青な空の下、静かに立っちょります。