能茶山の登り窯の傾斜〔2474〕2010/01/23
2010年1月23日(土)晴れちょります!
今日も良いお天気。
夕方、久々に鏡川沿いを走りに行っちょりました。もう梅の蕾が膨らみ始め、春が近づいてきゆうことがよくわかります。やっぱし美しい鏡川。あらためて心の古里ということを実感しもって走ってきました。
で、紅葉橋から南へ、土佐道路を渡ってここ、能茶山(のうさやま)をたつくってみることにしました。2007年8月25日以来です。あのときはラビリンス能茶山としてご紹介しちょりますね。あの時にも書きましたが、てっぺんに、「能茶山山上窯跡」というががあります。土佐藩の磁器を焼きよった窯の跡。
土佐藩は、もともと高知城のしゅっと北で尾戸焼という焼きものをつくりよりました。藩窯ですな。で、文政3年(1829年)、ここにその藩窯を移し、芸術的にも価値のある磁器を世に送り出してきたのでありました。土が良かったがにかありません。
2007年にたつくったときは、もっともっと鬱蒼としちょりました。真夏やったきでしょうかね。今日はこのようにスッキリ見えました。この向こうの傾斜に登り窯があったそうです。言われてみればそんな感じの傾斜。
この山も大きなマンションが建ち、昔の雰囲気が消えつつありますが、古い石組みのある小径がまだまだ素敵な能茶山。今でも、この山の北側には窯がありますし、南の麓にも尾戸焼きのギャラリーがありました。
この藩窯が栄えたがは文政3年から明治3年までの50年間。この案内板によりますれば、「大小の皿鉢、徳利、花入の類から茶碗、皿」などなどが焼かれたそうで、美術的価値の高い作品が多いそうですな。
この景色、この斜面に登り窯があった往時を想像できるではありませんか。