竹島の全貌〔2444〕2009/12/24
2009年12月24日(木)晴れ!
てな訳で、今日はクリスマスイブな訳ですが、昨日てっぺんをご紹介した竹島の全貌はこんな感じです。お仕事の途中でちょっと寄り道してみました。
右下に昭和37年に建立された竹島跡碑があり、このように住宅地に囲まれて、島の芯の部分だけが残されちゅうがです。
昭和8年の、25,000分の1の地図では、まだ山の形がはっきりとわかる竹島。もちろん島ではなく、田んぼの中の山ですが、結構大きかったものと推察されます。総和40年の地図では、もう既に山の姿は見えませんきに、この竹島跡碑が建てられた頃には、もう、こんな芯だけの姿になっちょったがかも知れません。
が、こうやって芯の岩だけでも残して、こうやって記念碑が建てられちゅうだけでも素晴らしいことですね。てっぺんに登って見晴らしてみると、ここが山やった頃のことや、島やった昔のことが妄想できます。高見や孕の海岸のこと、美しい浦戸湾のこと。そこで生活しよった人たちの息づかい。
こっから高見山がよく見えるということは、その山麓に住んだ菅原高視さん、道真公のご嫡男の高視さんは、家から、浦戸湾に浮かぶこの竹島を毎日眺めよったことでしょう、間違いなく。
昭和8年の地図で見た感じでは、現在も浦戸湾に浮かぶ玉島くらいの大きさはあったでしょう。丸山台とか弘化台は、浦戸湾七島に入れられませんので、それよりはかなり大きい、ちゃんとした「島」やったと思われます。ひょっとしたら玉島より大きく、葛島くらいあったかも知れません。地形を見るとそんな感じもします。
浦戸湾七島といわれる島の中で、まだ探検したことないのは玉島と洞ヶ島(ほらがしま)。玉島は舟やないと渡れんので、なかなか機会がないですね。洞ヶ島は、どれがその痕跡か存じ上げんのであります。こんど調べて行ってみんといけません。