温泉の恐怖〔2434〕2009/12/14
2009年12月14日(月)晴れ!
今朝も12月とは思えん、暖かい朝。12月14日です。
12月14日と言えば反射的に思い出すのが赤穂浪士の討ち入りですよね。以前にもお話しましたが、三波春男先生の長編歌謡浪曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」はひまわり太郎の十八番。ほとんどソラで歌えます。歌いとうなってきました。
さて、昨日も夕刻前にたつくりに出ちょりました。九反田から高見山の麓へ向かい、高見山の南東の谷間から北中山を一気に駆け上がりますと、清掃登山の団体さんに遭遇。高齢者の方が多いですが、拾ったゴミを抱えちょりまして、南嶺をキレイにしてくださりよりました。頭が下がります。
神田へ下ってきて温泉へ。ここは男湯と女湯が毎日交替するようになっちょります。「おとこ」と大きく書かれた暖簾をくぐろうとしますと、着替えで前を隠した全裸のおばあちゃんが「おおの、間違えた」とか言いながら飛び出してきて、女湯方面へと駆けていったのでありました。結構混んじょったがですが、全部脱ぐまで気が付かんかった訳ですな。タイチャナモンです。おばあちゃん恐るべし。
ここは今朝の上岡八幡宮。拝殿前から参道方面を撮影してみました。もうちょっとでお日様が昇って来ようとしゆう時間帯。
左手に狛犬と燈籠が鎮座し、それを玉垣が囲んじょります。この玉垣は社殿修築の際に奉献されたものらしいですが、かなり破損したり折れたりしちゅうががあり、燈籠の横に寝かせられたりしちょります。あれだけの破損は、一時に大きな衝撃があったことを想像させます。
そう言えば、この参道の入り口には、安政南海地震の際に、津波がここまでのぼって来たことを記す碑があります。その当時には、まだこの玉垣は造られちゃあしませんので、直接の原因は昭和の南海地震の際かなにかでしょうか。