岡豊城の天守跡で、想像力の大切さを考える〔2432〕2009/12/12
2009年12月12日(土)晴れ!
今日はこぢゃんと暖かい土曜日。歩くだけで汗ばんでくる陽気。そんな中、夕刻前に時間をつくって岡豊から長岡界隈をたつくりに行っちょりました。
ここはご存じ、岡豊城の天守台。岡豊山のてっぺんで、ここで長宗我部国親さんや元親さんは天下を窺うた訳です。ご覧のように大きな木々が茂って、景観は良うございません。このちょっとした、四ノ段の横に展望スペースがつくられちょりまして、そっからの景色が素晴らしゅうございます。
今日は天竺右近花氏さんの居城、大津城の所を通り、そっからまっすぐ岡豊山にやって来ました。まっすぐ走ると人間の足で20分かかりません。そんな近さで。真っ正面に見えます。こっから東に見える野田から物部川の手前界隈までをまずは支配下に入れた国親さん、土佐の中原を狙う手始めに、その天竺右近さんの大津城を攻め落とした、というお話はビッシリしちょります。
今日、その見晴台から眺めて感じたこと、それは想像力の大切さ。こっからは、戦国期の有力者が支配しちょったかなりの部分を一望できます。睥睨できます。まずは、あそこを落としてここを支配下に入れて、と、制覇していくストーリーが、ここからは想像できるがです。で、国親さん、元親さんは、こっから描いたストーリー通りに勢力圏を広げていったがやと思います。まずは想像できんと、大事は実現せん訳で、そんな意味ではこの場所の領主やったことが、こぢゃんと大きな意味を持っちょったがやないかと実感しました。他の戦国大名の根城からの眺望のスケールは、ここ程ではなかったと思います。対抗できるのは朝倉城の本山氏くらいでしょうか。
そんな想像力をかき立てた天守の場所は、今はこのように鬱蒼としちょります。長宗我部国親さんや元親さんの考えたことを共有するには、当時そうやったように、この場所の周辺の木々を伐って眺望絶佳にせんといかんと思います。本山氏の朝倉城も、梅慶さんや茂辰さんの感じたことを共有するためにはてっぺん周辺の樹木を伐らんといけません。
高知の観光を考える上でも、歴史上の人物と感覚を共有することがこぢゃんと大切。ナントカ館をつくってお洒落な展示をすることではありませんよね。そんなセンスが、これからは大切になってくると思います。