辷山考〔2431〕2009/12/11
2009年12月11日(金)雨のち晴れ
今朝は雨が降りよりましたが、お昼前からお日様が照りつけ始めてぬくうなりました。雨上がりで、暑いくらいの金曜日。
ここは今朝の高知城、辷(すべり)やま。高知城の北側にある、お城から下ってきた斜面。いつの頃から辷山と呼ぶがか知りませんが、ここはひまわり太郎が小学生の頃の遊び場の一つ。このしゅっと横、今の県警本部が聳え立つ界隈には警察の官舎が並び、そこの子供もようけ居りました。で、丸の内界隈の子ども達の遊び場はここ、辷山がメインでした。今の城西公園のクは刑務所で、高い高い塀が取り囲んじょったですね。
この場所には、こないだまで、石垣の石がたくさん積み上げられちょりました。三の丸の石垣補修工事で、取り壊された石垣の石が一旦ここに保管されちょった訳です。もう、石垣も再び組み終わり、工事は最終段階を迎えちょります。その、辷山の手前に土がどっしこ積み上げられちょりますがは、このお知らせ看板によると、三の丸補修工事で出てきた土やそうです。今年度中にノケられるそうです。
この坂道の上には、藩政期、証文倉がありました。で、燃えたらいかんということで、こちら側の辷山部分は屋敷も取り払われ、樹木も植えられませんでした。ですきに裸の山、辷山になった訳ですな。
藩政期には辷山という名称ではなくて谷屋敷という地名。絵図面に書かれちゃあります。屋敷は無いのに谷屋敷。山内氏がやって来る前の長宗我部地検帳に谷屋敷と出ちょりますきに、その昔屋敷があり、屋敷は無いなっても地名として谷屋敷が残ったということでしょうか。
小学生の頃、自転車でたつくりまわったり、段ボールのソリで滑り降りたり、城山全体を使うて鬼ごっこしたり、そんな想い出の詰まった場所でもあります。