大津城趾、関と明見の間の峠の話〔2424〕2009/12/04
2009年12月4日(金)晴れ!
ここは一条橋電停。電車通り、大津から東へ行った電停。その電停の向こうに橋が架かっちょりまして、それが一条橋。その向こうにまたまた電停がありまして、清和学園前。停留所間の距離が10mちょっとと、たぶん一番短い場所やと思います。空には夜明け前のお月様が丸く輝き、電停の向こうに大津城趾の山影がうっすらと見えております。大津城趾の山は、こないだもお話しました通り、戦国期の天竺氏の居城。長宗我部国親さんに攻め滅ぼされ、中村の一条氏が長宗我部支配下になった後、ここに一条内政(ただまさ)さんが長宗我部庇護のもと、住まわされまして大津御所と呼ばれました。ですきに、その橋が一条橋。
こっから西へ行くと、こないだご紹介した舟入川の堰があります。藩政期も堰があったがやないろうか、という想像をしましたが、舟入川沿いの案内看板にそのことが書かれちゃありました。市川堰という堰やそうで、そっから、南北の用水路が掘られて大津や高須の田畑を潤しよったそうです。で、その堰の南側の集落が関という集落。東が大津城趾の山、西が白太夫神社のある山、南が高間原山で、3方を山に囲まれた関地区。
こないだの日曜日にこの界隈をたつくりよって、関から清和学園の方へ抜ける道があるがを発見しました。大津城趾の山と高間原山の間の馬の背を越える道。途中からは未舗装の砂利道ですが、車でも越えれるでこぼこ道。今朝は関からその道を通ってみました。
真っ暗で、戦場跡独特のちょっと怖い雰囲気の山道。峠のちょっと手前の舗装が終わる所に民家があり、その前の真っ暗な所でおんちゃんが自転車に乗ろうとしゆうところに突然でくわし、心臓が止まりそうになりました。おんちゃんもビックリしちょりました。あんな真っ暗な山道を自転車で通りかかるヒトが居る訳もなく、驚いたでしょうね。
戦場跡の暗い山道に、居るはずのない人影が突然出現するがはかなりビックリしますね。