介良の旧道が広がりよります〔2407〕2009/11/17
2009年11月17日(火)雨
今朝は冷たい雨。合羽を着て、自転車をシャコシャコいわせるがもなかなか楽しいもんです。ここは介良。中野団地の南、小富士山の北麓。介良の旧道は、ここを通っちゅうがですが、交通量の割に道路が狭く、自転車や歩行者は結構危険。で、今、このように拡張工事を始めちょります。シャッタースピードを落としての撮影で、通り過ぎていった車の灯りがキレイです。
ところで、昨日、上岡山について妄想しました。前方後円墳というがは、ちくと妄想を暴走させすぎでしょうが、あそこで色々と想像しよったら、前方後円墳が、なんであんな形、あの鍵穴みたいな形ながかわかりました。いや、わかったような気がしました。
ダイタイからして不思議な形ですよね、前方後円墳。しかも円が後ろで方が前とはどういうことか。
まず、円状に盛り上げたお墓がありました。その形は、人間の摂理として一番自然なお墓の形状ではないでしょうか。それが段々と大きくなり、丸い小山のようなものになったとします。その祖霊の住む小山をお参りするのに、小山に向こうて参道と拝む場所ができてきます。最初は周囲との境目はなかったがが、徐々に参道、拝む場所、そして小山が周囲から隔絶されてきて、そしてあのような前方後円墳になったがやないでしょうか。上岡八幡宮参道を見よって、突然わかりました。
文献を読むと、初期、つまり3世紀頃の前方後円墳は、方の部分が低く、方の下の部分からしゅっと行けるようになっちょったそうです。段々、その方の部分も高くなり、簡単には入っていけんなった時期が、首長の権威が高まり、首長霊信仰が盛んになった頃ながでしょう。
箸墓古墳とかの前方後円墳へ行くと、方の下の所に鳥居があり、そっから方を見越して彼方の円を拝むようになっちょります。ですきに、手前、つまり前が方で、奥、つまり後ろが円ということがわかります。
雨の早朝、いろんなことがわかった気になりました。