福船の川原神社〔2390〕2009/10/31
2009年10月31日(土)ご覧の通り快晴
今朝、こぢゃんと美しい景色をみつけました。南国本社の北西、立田から北へ行った場所。この鎮守の森は川原神社の森。その前の田んぼに、コスモスとひまわりが植えられて、今、咲き誇っちょります。空は真っ青な秋空。青と緑と黄色とピンクが美しいですな。
ここは南国市福船。昔は岩村郷の福田村と呼ばれよった場所。近世まで、物部川の本流はこのしゅっと東にあり、そこから対岸、野市の深渕まで、渡し船が往き来しよったらしいですな。東西の往還が、この界隈を通っちょった訳です。ですきに、船渡という地名が残っちょります。
このお宮さんは、川原大明神ということで、古くから地元の皆さんの尊崇されてきたお宮さん。秋祭りの幟が、秋風にはためきよりました。
源平の合戦の頃、源頼朝の弟、源希義さんが、頼朝挙兵に呼応して介良から兵を挙げた際、東の夜須から源家救援のために駆けつけたことで有名な夜須十郎行家さんは、たぶんここを通過しちょります。希義さんは年越山で平家方に討たれちょりますきに、間に合わんかったがですけんどね。
その後、南北朝の合戦の頃には、この界隈に岩村城がありました。南朝方の武将が盤踞しちょったらしいです。佐伯経貞軍忠状によりますれば、北朝方の攻撃で岩村城は焼き払われた、ということになっちょります。対岸、深渕の河原では、ビッシリご紹介しゆう田村の豪族入交氏の一族と、北朝方の佐伯氏が合戦をしちょりますきに、この界隈が南北朝合戦の激戦地やったことがよくわかります。
このキレイな風景の川原神社、交通の要衝の物部川の川原に鎮座しちょったお宮さんですきに川原神社ながでしょうか。