千屋城址の城八幡〔2348〕2009/09/19
2009年9月19日(土)快晴!
今朝も秋晴れ。が、風がエラかったですね。稲生の、南北を山に挟まれちゅう場所では、強烈な東風が。つまり、南国へ出勤するひまわり太郎にとっては強烈な向かい風。昨夜、南国から稲生を経由、五台山を漕ぎのぼって山頂経由で帰宅しましたが、その山頂経由ルートよりも今朝の向かい風強烈コースの方がキツかったです。なかなか自転車が進みません。エイ負荷になりました。
ここは空港の滑走路の南。里改田から東へ行った下田村。今年5月12日のにっこりで、この界隈の話をご紹介しました。戦国時代、土佐には戦国七守護といわれる有力な守護大名がおりました。
で、それに次ぐ勢力として「四大封」と呼ばる豪族がおります。土佐遺語という文献によりますれば、森氏、国沢氏、蚊居田氏、そして千屋氏。その千屋氏の本拠がこの界隈で、室町期に守護として土佐を支配した細川氏の守護代屋敷から空港の滑走路をはさんでしゅっとのクにある、てなことを、5月12日には書いたがですけんど、あの時には城趾の城八幡をよう見つけちょりませんでした。昨夜、暗い田んぼ道を自転車で帰りよって、何やらゆかしげな案内板を発見、ここに城八幡があることがわかったのであります。さすが自転車。機動力と発見力が違います。
この辺りには千屋城の土塁の跡も少し残されちゅうそうで、戦国中期の香りをかぐことができます。写真がその城八幡で、背後の巨木が見事。思うちょったよりキレイに整備されちょりました。
蚊居田氏の城跡にも城八幡があるそうで、こっから西へしゅっとのクながですけんど、まだよう見つけちょりません。じっくり探してみんといかんですな。
この南の田んぼの中には、太平洋戦争の遺構、掩体壕も7つあります。普通に皆さんが暮らす田園風景の中に、色んな歴史が埋もれちょります。