北山中腹から高知の街を眺め、高知街を考える〔2341〕2009/09/12

2009年9月12日(土)曇り後雨
今日はお昼頃から雨がシトシト。このところ真っ青な空の晴れた日が多かったので、良いお湿りになりました。明日、13日には、高知の街中で「高知街ラ・ラ・ラ音楽祭2009」が開催されます。今日は、まだ雨が降りやあせん午前中、ちくと設営のお手伝いに行っちょりました。今年で8回目になるラ・ラ・ラ。
今から7年ちょっと前の早春、Hさんという気の良い先輩、高知のことに情熱を持っちゅう先輩から、高知で、街中にいくつも野外ステージをつくってジャンルに関係なくバンドを募集して演奏させて、街中に音楽が溢れるお祭りをやろう!と持ちかけられました。
それからあれよあれよ。
一緒に創りあげたお祭りも、ホントに色々な変遷を経て今年で8回目。その言い出しっぺのHさんが亡くなって5年の歳月が流れました。早いもんですな、本当に。
あの頃、ひまわり太郎もHさんも、盛り上がりつつも妙に画一化していくよさこいに何となく違和感を感じちょりました。実は、よさこいを「何でもあり」にするきっかけをつくったのは、実はそのHさん一味やったということは、メッソ知られちゃあしません。生バンドを強行導入し、主催者側をこぢゃんと慌てさせました。それまでは、各会場で流す同じ演奏テープをバックに同じような踊りを踊るががよさこいでした。戦後、観光客目当てにつくられたお祭りで、全国各地にあります、そんながが。
で、生バンドでこぢゃんとガイにやったところが、主催者側には顰蹙を買うたもんの、お客さんには大受け。あんながも有りながや、ということで、各チームが何でもありの工夫を凝らすようになり、急激にブレイクしていきました。規制が追いつかんかったがですね、みんなあのパワーに。
で、ひまわり太郎もバンドマンとしてかなり深く深く、ホントのよさこいの楽しみを満喫してきよったがですが、ある時期から妙に画一的な観光客目当て、ステージ受けするような感じのものが主流になって、Hさんやひまわり太郎にとってはモノ足らんなってきよったがですね。それで、もう一度、自分たちも参加者も見るヒトも思いきり楽しむお祭りをつくりたい、ということで始めたががラ・ラ・ラながです。
まあ、まだまだながですけんど、街にちょっとは定着してきたラ・ラ・ラ。今、かなり入れ替わりつつある新しいメンバーで、Hさんの思いがちょっとづつ実現されていきよります。楽しいですな、やっぱし。ラ・ラ・ラは、イベントぢゃあ無うてお祭りながです。