朝倉町界隈〔234〕2003/12/06
2003年12月6日(曇り一時雨)
高知の城下町は、長宗我部元親や山内一豊によって計画的に建設されていきました。各地に在ったそれぞれの小さい城下町を集めて来て、この高知の城下町に移住させ、つくりあげられていったんですね。
写真は、朝倉町と九反田の堺。ここにはその昔横堀が流れ、両町を分けておりましたが、その後埋め立てられて地続きになったのだそうです。朝倉町は、朝倉村(現高知市朝倉)の市町をそっくりそのまま移して来たことに由来する町名。朝倉村は、にっこりひまわり[228]でご紹介した「朝倉城」の下に栄えた街ですね。
朝倉町の北側は、長宗我部元親が晩年本拠とした「浦戸城」の城下町を移して来た「浦戸町」。この界隈は物資の集散地で、当時の高知の物流センターでした。この西側には、「美濃屋」「播磨屋」「櫃屋(ひつや)」などの豪商が住み、おそらく高知で一番繁華な地区であったことが想像されます。
ちなみに、「播磨屋」も「櫃屋」も浦戸の城下町から移住してきた豪商で、両家の間に堀川が流れちょったので、互いに往来するために架けた私設の橋が「播磨屋橋」だった訳でございます。それが後に公共の橋になり、小間物屋などの商店が立ち並んで賑やかになり、にっこりひまわり[188]でご紹介しましたように「慶全」がかんざしを買いにやってきて物語は始まったのであります。