稲生の石灰山へまた行きました〔2330〕2009/09/01
2009年9月1日(火)快晴!
雲ひとつない快晴、とは今朝のこと。9月のスタートは素晴らしいお天気になりました。空の色も青さを増し、季節は秋へと向かいます。
こないだ、8月28日のにっこりで、南国市稲生の石灰山にできた巨大な湖をご紹介しました。で、あの朝は雲が多い小雨模様のお天気やったので、今朝、この素晴らしい青空の下、今一度行ってみました。
たぶん昼間は石灰工場が稼働しよって入っていけんエリアですきに、この早朝の誰も居ない清々しい時間帯が、湖を見るチャンス。こないだ撮影したポイントより、少し東へまわった所から撮影してみました。ちくとわかりづらいですけんど、この池の向こうに、この池の数倍の巨大池が写っちょります。
こないだ、友人の石灰関係者に教えて頂いた2004年の高知新聞によりますれば、東西250m、南北150m、最深部27mだそうです。誰が測ったか知りませんが。で、たぶん水面の高さは下田川と同じくらい。
この稲生界隈で石灰採掘が始まったがは、享保15年(1730年)といわれちょります。採掘許可が下ろされたがは、お城下の美濃屋さんと大和屋さん。美濃屋さんと言えばお城下の豪商ですが、土佐の膨大な歴史をまとめた南路志を編纂したのは美濃屋のご主人武藤致和さんやったですな。1741年生まれですきに、この稲生で石灰事業を始めた翌年に生まれちょります。こぢゃんと景気が良かった時代に生まれたということになります。その後、7月16日のにっこりに書いたように、入交太三右衛門さんが阿波の徳右衛門さんの技術を取得して石灰事業を大きく発展させた訳です。
ところでこの巨大池は、石灰を下へ下へと掘っていきよったらできたもの。水が出た訳です。と、いうことは、こないだうちからビッシリ紹介しゆう船岡山、住吉大明神の鎮座まします船岡山のケイ石の鉱山、あれもかなり掘りさらばえて、下まで行っちょりますけんど、あっから下へ掘り進んでいったら船岡池になってしまうかも知れませんね。船岡山の南には、古代、古物部川が流れよったらしいですきに。