「しあんばし」と陽暉楼〔230〕2003/12/02
2003年12月2日(火)快晴
今朝はホントによく晴れました。雲一つない快晴ですな。昨日も書きましたが、夜明け前の西南の空、オリオン座やシリウス、牡牛座の迫力はすごいですよ。街の明かりが少ないので、一層際立って美しいです。ぜひ一度ご覧になって下さい。
さて、今朝も鏡川を遡行、新月橋界隈を走って来ました。写真は「思案橋(しあんばし)」。
にっこりひまわり[96]でご紹介した、古い謂れを持つ橋です。ここにお城下の西の入り口にあたる番所があり、どの道を通ってお城下へ入ろうか「思案」した橋、という説と、このすぐ西側(この写真の、橋の向こう側)にあった遊郭街で不夜城の「玉水新地」へ行こうか行くまいかと男たちが「思案」した橋であるという説がございます。
「玉水新地」は、江戸後期に発展した、当時の高知一の歓楽街。明治に入りますと、松岡寅八という気の利いた人物が「陽暉楼」をオープンさせ、大成功。さらに「得月楼(とくげつろう)」を始め、文人墨客や財界人などの顧客を開拓、懐石料理などの新たなサービスを導入して、その栄華は「南海第一楼」と讃えられました。その後、下の稲荷新地や浦戸町にも店を出店させ、戦争の頃まで大繁盛しました。その立派な建物は特に目立ち、空襲の際に県の重要な建造物と思われて真っ先に標的にされたことは有名ですね。
今では、当時の中店があった浦戸町に「得月楼」として営業しており、盆梅などの歴史的オブジェがたくさん備わった、素敵な料亭になっちょります。