樅の木は残った〔231〕2003/12/03
2003年12月3日(水)素晴らしい快晴
今日はこれ以上ないくらいの快晴、本当に雲ひとつありません。お見事。
日の出の時刻が段々と遅くなって来ました。写真は、午前7時丁度の五台山。鏡川最河口の鏡川大橋から撮影したものですが、まだお日様は昇っちょりません。もう少しですね。
鉄塔が2本立った山が五台山です。この山にまつわるお話として、以前、純信お馬の恋愛物語やライオン宰相浜口雄幸、吸江庵の夢窓疎石について、このにっこりで書いたことがあります。今日は「伊達兵部(だてひょうぶ)」。
この五台山には、「伊達兵部」のお墓があります。
海音寺潮五郎の小説で、昔NHKの大河ドラマにもなった「樅の木は残った」というのがあります。仙台藩の、いわゆる「伊達騒動」を題材にした物語ですね。原田甲斐という伊達藩の家老を主人公にして、伊達藩を取りつぶそうとする幕府の陰謀に立ち向かうしぶとい姿を描いた傑作で、ひまわり太郎も大好きな時代小説です。
史実にはいろんな側面があり、まったく逆からの解釈もできるという見本のような物語でした。
この小説では悪役中の悪役に描かれちゅうがが「伊達兵部」さん。ご存知伊達政宗の10男で、本名は伊達宗勝。仙台藩領内一関に3万石の知行地を有しましたが、伊達騒動の結果、遠く離れた土佐の国へ流されて土佐藩預けになりました。
そうは言っても伊達は伊達。高知城下に隣接する小高坂村に蟄居させられましたが、家臣7名の500俵扶持で、優雅な蟄居となりました。幕府の許可を得て土佐領内から女中さんを雇うたりもしちょったそうであります。
1679年に亡くなり、幕府の検死を受けたあと、この五台山に葬られたそうです。