大阪で文化住宅について考える〔2299〕2009/08/01
2009年8月1日(土)大阪は薄曇りでんがな
てな訳で、昨日、高知県地方はやっと梅雨明けしたらしいとのこと。が、ひまわり太郎は、まだ梅雨明けしちゃあせんにかあらん大阪へ来てまんがな。昨夜、お客様に連れられて、桃谷のこぢゃんとおいしい焼き肉屋さんへ行っちょりました。いや、焼き肉というより、生肉が美味しいお店。生レバ、生センマイ、生タンなどなど、絶品中の絶品でした。お腹パンパンになってしまいました。
今朝は、ちくとお腹の中を消化しちょかんといかんので、淀川界隈を走りに出ちょりました。泊まっちょったがは西中島南方。
西ながか中ながか南ながかハッキリせえ~っというネタは2005年10月27日にもやっちょりますな。で、ホテルから淀川の土手へ向かう途中に発見したのがこの看板。突き当たりに見えゆうがが淀川の土手。
大阪には、「文化住宅」という独特の文化があるらしいです。調べてみますれば、どうやら高度成長の時代、大阪万博の前後の時代、関西にどっしこ作られた集合住宅のことを文化住宅と言うらしいがですね。それまでの長屋に比べて、木造でも2階建てになっちょったり、それぞれの部屋に台所やトイレが付いたりと、「文化的」になった集合住宅、ということで、この呼び名が一般的になったみたいです。大阪では、単に、ブンカと呼ぶこともあるとのこと。この場合、真ん中の「ン」にアクセントがあるそうですきに、気を付けて下さい。
ここは新大阪の駅から南へ行ったク。東京オリンピックから万博にかけて、急激に人口が増えたと思われるエリア。ですきに、文化住宅もどっしこどっしこ造られたことでしょう。で、その時代の文化住宅は、もう、かなり古うなっちゅうと思われます。が、今でも作られゆうがでしょうか、文化住宅。