立田の天満宮、高視さんの乳母〔2280〕2009/07/13
2009年7月13日(月)暑い!
昨夜雨が降っちょりまして、今朝もまた蒸せるお天気になりました。普通にたたずんじゅうだけで、汗がジワジワと吹き出してきます。すごい湿度ですな、こりゃ。
こないだうちから、妙に神社ネタが続いて申し訳ないですけんど、今朝もまた神社をご紹介しましょう。いや、本社が移転して活動範囲が広がり、その広がった高知から南国のエリアにはホントに古い祠やお宮さんが多いのでありました。
ここは立田。新本社から徒歩で15分、土佐くろしお鉄道の立田駅のしゅっと東。ここに、ご覧のような天満宮が鎮座されちょります。
天満宮は、学問の神様として全国に鎮座されちょりますけんど、いつもご紹介する潮江天満宮や、ここ立田の天満宮は、その由来の深さが違います。
高知の潮江には、道真公の嫡男、菅原高視さんが左遷されて来て住んじょったので、その高視さんに関係するがが、潮江や立田の天満宮。
こないだ、9日のにっこりにも書きましたが、道真公の忠臣、松本白太夫さんが土佐に住む嫡男高視さんに道真公の遺品を届けようとやって来て、到着直前の大津で亡くなった、というお話があります。その大津には今も白太夫神社が鎮座しちょりまして、潮江天満宮にも境内社として祀られちょりますね。
ここ立田の天満宮は、高視さんの乳母が、道真公遺愛の八重の白梅の株を太宰府より持って来よって、到着直前のこの地で病没した、という由来になっちょります。この乳母さんも、白太夫さんも、高視さんに遺品を届けに来よって到着直前に病没、という同じようなお話になっちゅうがが不思議です。
九州太宰府から、どんなルートを通ってやって来たがでしょうか。この立田や大津を通っちゅうということは東からまわって来たがでしょうか。謎は深まっていくのでありました。