介良の合併記念碑〔2271〕2009/07/04
2009年7月4日(土)晴れ!
今朝は、南国の新本社まで自転車で通勤しました。朝の風が心地良い、ちょうどボッチリのサイクリング。旧道とか、昔ながらの狭い道路を選んで走りますきに、道端には興味深いオブジェや施設が溢れ、飽きがきません。また、追々ご紹介していきますね。ご期待下さい。
昨日のにっこりで、ジャンボタニシのピンクの卵が8月くらいになったら目立つようになる、てなお話をしましたが、間違うちょりました。今朝、自転車で走りよりますと、水路の擁壁とかに、もう、どっさりのピンクの卵が。ひょっとしたら今が産卵の真っ盛りながでしょうか。
ここは今朝の介良(けら)。この記念碑は、昭和47年に、介良村が高知市に合併された際に建てられた碑。そう、介良が高知市に合併したニュースは、ひまわり太郎、今でも覚えちょります。
この土地は非常に古くから栄えた土地。平安時代中期に成立した和名抄に「気良郷」として登場、その後、伊豆走湯山の荘園として名前が出てきます。と、いうところで、「伊豆走湯山」で検索したら、かなり上のところににっこりひまわりの過去の記事が引っ掛かってきました。ビックリビックリ。
まあ、以前も介良荘については、何回か書かせてもろうちょります。源家ゆかりの荘園で、頼朝さんの弟の源希義さんが流されてきて住みよったことはあまりにも有名。
ここは、昔の介良の役場があった、介良の中心地。こっから北東に、間に平野を挟んで高間原山があります。古墳が多い高間原山。古代、物部川の河口は、ここと高間原山の間やったといわれちょりますね。
今日自転車で通ってきた道沿いの田んぼは、もう、稲穂が実ってちょっとずつコウベを垂れてきよります。そう言えば、高知は一年に二度お米が獲れる二期作で有名やったですが、その二期作の発祥の地は、ここ介良といわれちょりますね。寛延(1748年~1751年)の頃のことやそうです。