植木枝盛先生邸跡〔226〕2003/11/28
2003年11月28日(金)雨だよ~ん
今朝は、自由民権運動の理論的支柱であり論客であった植木枝盛さんの邸跡へ来ちょります。ここは、一昨日のにっこりに書きました槙村浩歌碑から西へ25m程の場所です。従いまして「桜馬場」。
独学自習の人物として有名で、板垣退助が立志社を設立すると東京に出て猛烈に勉強、新思想を吸収します。
その当時、「猿人政府(ひとをさるにするせいふ)」という投書が新聞条例に引っ掛かって2ヶ月間獄につながれるということを体験しちょります。
その後高知へ帰り、国会開設の運動を始めとする様々な要求を建白にして起草、民権運動最高の理論家としての名を馳せます。
この時期、今の日本国憲法にもつながる憲法草案を起草したりもしちゅうがですね。
とにかく自分で勉強し理論を組み立てていく姿勢は終生変わらず、土佐のいごっそうの面目躍如たるものがあります。これ程の活躍をしちょりますので、長生きしたのかと思いきや、明治25年に36歳の若さで亡くなっちゅうがですね。たいちゃなもんです。
その勉強の姿勢は、自ら書いた次の一文に集約されちょります。
「植木枝盛は植木枝盛を学ぶものなり」