八田堰は今でも大活躍〔2253〕2009/06/16
2009年6月16日(水)晴れ!
いやまあしかし、今日も暑いです。昨夜、かなりガイな雨が降りましたね。ビヤガーデンに行っちょったがですが、途中屋根のある部分へ移動しました。帰りは大雨で、びしょびしょに濡れてしまいました。が、良い雨でした。これでちっとは潤うたでしょうか。
ここは仁淀川。いの町の八田(はた)という所で、有名な堰、八田堰があります。川向こうは大内で、あの正面の山の向こうに、ひまわり太郎お気に入りの温泉、蘇鶴温泉がございますね。しばらく行ってないですきに、そろそろ走って行きたいですな。
この八田堰、一番最初につくったがは、言わずと知れた野中兼山さん。こないだうちから、野市の用水をご紹介しよりますけんど、ここ八田堰から春野の広大な農地を潤しゆう灌漑用水も、野中兼山さんの発案によるもの。こっから、2007年12月8日にご紹介した行当の切抜を通って弘岡に抜け、そっからいっぱい枝分かれしちょります。その流れは、2008年1月2日にご紹介しちゅう唐音の切抜を通じて新川川につながり、浦戸湾へと繋げて輸送路としても利用されるようになった優れもの。すごい構想ですな、こりゃ。2つの切抜は、硬い岩を切り崩す難工事やったそうです。全長25.5kmの井筋は、当時としてはすさまじい工事やったと想像できます。
この堰の横には、野中兼山さんの偉業を書いた案内板と、昭和6年、昭和40年の改修記念碑が建っちょりました。ご覧の通り、この堰は今でもこぢゃんと重要な役割を果たしよります。たいしたもんですね。
こっからの水路沿いには、今、アジサイがどっしこ花を咲かせちょります。野市も、春野も、中村の安並も、今はアジサイが美しい、兼山さんゆかりの土地でございます。