間島パルチザンの歌〔224〕2003/11/26
2003年11月26日(水)マッパレ
今朝もものすごい晴れ方です。素晴らしい!
日の出が段々と遅くなってきまして、風景写真が取りづらくなってきました。でも、真っ暗いうちからたくさんの方が歩いてますね。
写真は、高知城の西、城西公園の西側の堀端にたくさんあります文学碑のうちの代表的なものです。ここは、知る人ぞ知る「桜馬場文学碑通り」。1661年に川原を埋め立てて二町三十三間の馬場として桜を植えたので「桜馬場」と言われるこの場所に、写真の「槙村浩 詩碑」が平成元年に建てられたのを嚆矢として、今ではたくさんの文学碑が立ち並んじょります。
槙村浩は、1911年高知市生まれの革命反戦詩人。小学生の頃から神童とうたわれ、県内国内はもとより海外にまで名を馳せちょったそうです。小学4年のときには、来高した皇族の前で講義したこともあるそうですね。
すぐれたプロレタリア詩人として活躍、反戦活動家としても有名で、2度検挙され拷問をうけ、それがもとで身体を壊し、1938年、26歳の若さで世を去っております。碑には、代表作である「間島パルチザンの歌」の冒頭の一節が刻まれちょります。
思い出は おれを故郷へ運ぶ
白頭の嶺を越え 落葉樹の林をこえ
蘆の根の黒く凍る沼のかなた・・・・・・・・
と、つづく歌ですね。
機会がありましたら、ゆっくりとこの文学碑通りを楽しんで見て下さい。