震災いちょう、日本の一番長い日〔2234〕2009/05/28
2009年5月28日(木)降ったり曇ったりだからさ
てな訳で今日は東京。と、申しますか、東京から新大阪へ向かう新幹線の中でこのにっこりを書きよります。昼前の飛行機でやって来て、会議を済ませて大阪へ移動中なのであります。
会議は竹橋であったので、そっから皇居のお堀沿いを歩いて東京駅まで来ました。ここは、竹橋の近く。夕方の、会社から帰るひとが多くなってきたお堀端。
ここに、このような銅像が立っちょります。和気清麻呂さん。紀元2600年を記念して建立されちょりますきに、昭和15年の作でしょうか。太平洋戦争直前ですな。
この皇居の周辺、その太平洋戦争の頃は、軍国ニッポンの中心部でありました。この竹橋の北側には近衛連隊がおりましたね。こないだ、半藤一利さんの「日本の一番長い日」という本を読みました。昔映画化もされちょりますが、あらためて読むとこぢゃんと興味深く面白い本です。昭和20年8月14日から15日にかけて、この界隈を中心にした政治家や軍人のすさまじい動きをドキュメンタリーにして綴った話で、一歩間違えたらとてつもないことになっちょったかも知れんギリギリのドラマが描かれちょります。終戦に持って行きたい陛下や鈴木首相、軍部に突き上げられる阿南陸将、クーデターを試みる若手将校、玉音放送を録音し、その録音盤を守るNHK職員などなど。この向こうの皇居や、この周辺では一触即発のものすごいことが行われよったことは、メッソ知られちゃあしませんね。
そんな事を考えさせられる皇居周辺ですが、この左の大きな銀杏の木も、なかなかの由緒を持っちょります。この辺り、関東大震災で焼け野原になった訳ですが、この銀杏の木は焼け残って当時の人々に復興の勇気を与えました。その後、復興事業に伴う区画整理で邪魔になり、切り倒されることになったがですが、時の中央気象台長岡田武松さんが復興局の清野長太郎長官に申し入れ、二人の意志でここに移植され、残されたがやそうです。これを、「センス」と言うのであります。