潮江天満宮の水路と真如寺と薫的和尚さん〔2208〕2009/05/02
2009年5月2日(土)晴れ!
で、今日は高知。エイ天気ですね。大型連休も始まったようですけんど、皆さん楽しんでらっしゃいますか?
ひまわり太郎は特にどっか遠出する予定もなく、新型インフルエンザの心配も無さそうです。
そんな訳で、今朝もいつものように潮江天満宮。初夏の緑が鮮やかになってきて、差し込む朝日が美しゅうございます。ここは手水舎と楼門の間の石橋の上。この橋を渡ると、センサーが働いて「通りゃんせ」の音楽が流れます。ここが天神様の細道やきですな。
ここには筆山の西麓の方から流れてくる水路があります。こっから見る水路の朝日の景色、結構好きです。以前にもご紹介しましたね。この水路は、ずうっと天神町から百石町を抜け、潮江方面に流れていっちょります。今は住宅街になってしもうちょりますが、その昔は潮江の田畑を潤しよった訳ですな。
右手の屋根は真如寺。土佐山内家の菩提寺、真如寺。山内一豊さんが土佐へ赴任してくる際に引き連れてきたお寺、真如寺。ですきに、藩政期にはこぢゃんと実力のあるお寺さんでした。長宗我部時代に寺格が高かった禅寺、瑞応寺の住職、薫的(くんてき)和尚は、新参者の真如寺が面白うのうてたまらず、ことあるごとに反発、藩主の逆鱗に触れて牢に入れられました。そして指を噛みちぎった血で経文を書き、絶食して憤死したとされちょります。
その後、山内家にはこぢゃんと不幸が続いたもんですきに、薫的和尚さんが祀られるようになったらしいですね。現在の、洞ヶ島の薫的神社は、珍しいお坊さんを祀った神社になりました。
て、この話、何回も書いたような気がします。もう2200回超えちょりますきね。同じような話がでてくるがはご容赦下さい。すびばせん。