朝の天神大橋、天神橋、天満橋、潮江大橋、真如寺橋〔2154〕2009/03/09
2009年3月9日(月)曇り後雨
今日は朝から曇っちょりましたが、夕方からまたまた雨。しっかり降りつづく雨。春雨は、降るたびに暖かくなっていきます。
ここは今朝、夜明け前の天神大橋。橋の上から東の方向に撮影しました。この橋は、今の新しい大きい橋ができる前は、普通に天神橋と呼びよりましたですよね。が、この橋を北へ行って電車通りを渡った商店街は「大橋通り」。ですきに、その昔はやっぱし天神大橋やった訳ですな。
藩政期初期、元和8年(1622年)に架けられた際は、この南の山内家菩提寺真如寺へお殿様が参詣するがに架けられたということで「真如寺橋」と呼ばれたことはわかっちょります。
で、享和元年(1801年)の郭中図には「潮江大橋」と書かれ、幕末の高知郭中図では天神橋となっちょりますね。そしてそして、明治26年の河田小龍さん制作の市街地図では「天満橋」ですきに、どこっちゃあに「天神大橋」はありません。が、単に「大橋」と呼ばれよったことは想像に難くありませんね。
と、申しますのも、山内家の危機管理として、この鏡川に架けられちょった橋は河口部分ではこの天神橋だっけ。その上流は、今の紅葉橋、「雁切橋」がだいぶ後になって架けられたのみでした。とっと上流は別にして。
さて、それでは、大橋通りがいつ頃から大橋通りになったのか。これはキチンと調べたことが無いですね、迂闊にも。藩政期は、高級武家屋敷街やったですきに、大橋通りとは呼ばんかったがやないでしょうか。明治26年の地図にも大橋通りの名称は無いですきに、その後、あそこが段々と繁華街になってきてからの名称でしょうか。いや、推測ちゃあいかんですきに、誰かに訊いてもんといかんですな。誰か詳しいヒトにでも。