為松公園、秋水さんの碑〔2146〕2009/03/01
2009年3月1日(日)晴れ!暑い!
いやいや、早いもんでもう3月。春です。いや、高知はもう初夏の陽気やったですね。そんな陽気のなか、ちくと用事がございまして、中村へ行っちょりました。今は四万十市の中村。
ここは、その町の中の山のてっぺん、中村城趾。応仁の乱の頃、一条氏が京からやって来て支配するまでは、地元の豪族為松氏の砦があったとされる場所。ですきに、今でもここは為松公園。
その城跡近くに、この碑は立っちょります。
この山の麓に、明治末期の大逆事件で官憲の陰謀によって死刑に処された幸徳秋水さんの生家があります。その幸徳秋水さんの、死刑を言い渡された際に書いた詩がこれ。書くように頼んだのは、その秋水さんの人格に惹かれ、尊敬しはじめちょった看守の菅野丈右衛門さん。
区々成敗且休論 千古唯応意気存
如是而生如是死 罪人又覚布衣尊
と、見事な文字で書かれちょります。文意は、
こまごまとした成功失敗について、今あげつらうのはやめよう
人生への意気を捨てぬ事こそ、古今を通じて大切なのだ
このように私は生きてきてこのように死んでいくが
罪人となって、あらためて無官の平民の尊さを覚ることができた
ということ。死刑に臨んで、このようなことの書ける人物は、なかなか居らんでしょう。彼を陥れたひとたちと、幸徳秋水さんと、どちらが後世尊敬をあつめることになったか。この詩をみただけでも答えは明らかですね。