早朝の九反田橋、台所、建築センター〔2143〕2009/02/26
2009年2月26日(木)晴れ!
いやいや、今日もぬくうございました。もう春。上着を脱ぎ捨てる時期も近づいて参りました。
ここは今朝の鏡川、九反田橋。南詰から北向いて撮影してみました。川面に映っちゅうキレイな建物はホテル日航高知旭ロイヤル様。左手の大きな建物はトップワン四国。この、九反田界隈の川沿いには、大きい立派な家が立ち並んじょります。閑静な高級住宅地といった風情。明治の時代には、軍人を育成する海南学校とか市場とか、製茶場もあったがが九反田。高知のお街の表玄関として賑わいましたね。
藩政期、この界隈から菜園場、土佐橋界隈にかけてはやっぱし高知の城下の台所として栄えました。
江戸時代の初め、城下町が形成された頃は、九反の田んぼしかない湿地帯で、他にはなんちゃあない所でした。が、寛文二年と言いますきに1662年という、まだ江戸時代初期と言うてもかまん時期に、ここに藩の米倉が移されました。北側には堀川、いわゆる縦堀が掘られ、交通の要衝になったがです。
資料によりますれば、藩の「作事方(さじがた)」つまり建築課のような役所とか「紙方(かみがた)」つまり製紙の役所とか、「山方(やまがた)」つまり林業課とかが九反田に置かれたそうです。こんな場所に建築を司る役所があったがですな。そう言えば藩政期にこの界隈には大工さんとか鍛冶屋さんとかがどっしこ住んじょりますもんね。もちろん大鋸屋さんも。ですきに、この九反田橋をまっすぐ北へ行った堀川を渡る橋は大鋸屋橋。
お城下の台所であると同時に、お城下の建築センターでもあった訳です。