靖国神社の静かな静かな鎮霊社〔2134〕2009/02/17
2009年2月17日(火)東京は晴れ
てな訳で今日は東京。一便に乗ってやって来ました。今は結構冷やいです、東京は。羽田新千歳便はかなり欠航になりよりましたき、全国的に冷え込みゆうがでしょうか。
ひまわり太郎の業界の寄合は、だいたい、乳業会館という建物の会議室でやります。乳業関連の諸団体が入居する乳業会館。場所は、九段下の駅からちくと上った所。ですきに、そこからしゅっとのクに靖国神社がございます。大きな大きな鳥居があって、普通に見かける産土神のようなお宮さんとは一線を画す、靖国神社。
日本の為に戦って命を落とした人たちの霊を慰める、ということで、あの大村益次郎さんが中心となって創られたがが始まりらしいです。が、戦後、A級戦犯合祀問題で、こぢゃんとややこしいことになった靖国神社。あの、英明と言われた松平春嶽さんの子孫が宮司となった際に合祀されたので、昭和天皇はいたくお怒りになったという話が残っちょりますね。
その本殿、拝殿に向かって左側に、小さい門があって、その奥に、二つの小さなお宮さんが建っちょります。拝殿の前は、大勢の参拝者で賑やかな靖国神社ですが、その小さなお宮さんの前は誰も行かない静かな空間。そのお宮さんは「鎮霊社」。昭和40年に建立された小さなお社。
これは、「明治維新以来の戦争。事変に起因して死没し、靖国神社に合祀されぬ人々の霊を慰める」ために建立されたと書かれちょります。
靖国神社には、戊辰戦争で官軍として活躍して戦死した皆さんが祀られちょります。が、戊辰戦争の官軍司令官の一人、西郷隆盛さんは祀られちょりません。西南戦争で逆賊になったきですね。で、そんな西郷さんなどの、靖国に祀られんかった方々を祀るために建立されたらしいのがこの鎮霊社。
が、昭和40年と言えば、再軍備を唱え、戦争を肯定する旧軍人とかを中心にA旧戦犯合祀が喧伝され始めた時期ですきに、昭和天皇の意をくんだ当時の宮司さんが、その対策として建立したがやないろうか、という説があります。いわゆる分祀ですね。が、結局、松平某によって靖国に合祀となり、今のこぢゃんとややこしい状況をつくりあげることとなったのでありました。
団体さんがひっきりなしに訪れ、大勢の参拝客で賑わう拝殿の脇、静かな森の中に、一人の参拝者も居ない鎮霊社がたたずんでおりました。