気温は12℃、山内掃部さん、孕石さん〔2133〕2009/02/16
2009年2月16日(月)晴れ!
今日は、明け方、曇っちょりました。そんな訳で気温も高かったですな。ここは電車通り。大橋通り電停の西側ですが、ここのラヴィータさんのビルに、ご覧の通り温度計が掲げられちょります。朝、6時半過ぎですきに、たぶん一日で一番気温が低いとされる時間帯ですが、12℃という気温。かなり体感の温度もぬくうございました。
このラヴィータさんから天神橋商店街の辺りは、藩政期末期には山内家の一族、山内掃部さんの屋敷となっちょります。その北側、この写真の左端のビルがある界隈、大橋通り商店街の西半分くらいは、藩政期前半の頃に家老本職となって活躍した孕石さんの屋敷がありました。
実は、今でもあの界隈の土地の所有者は孕石さんらしいですね。戦後にできたいわゆる「公設」に、ひまわり太郎母親の実家のお店がありますきに、そんな話を聞いたことがあります。
孕石家は、掛川から山内一豊さんに着いてやってきた旧家。最初は450石、御使母衣(おつかいほろ)という格式やった訳ですが、1665年、寛文5年の孕石頼母の時代に家老本職まで上り詰め、2350石まで加増されちょったそうです。が、その後は家格も少し下げられて、ちんがりちんがり幕末を迎えたみたいです。
1669年の城下図を見てみますと、その孕石頼母さんの屋敷は、ここからもうちょっと西、今の日銀さんかその西側辺りの広大な敷地にあったようです。1801年の地図では、その大橋通りの西側に移って敷地もちょっと狭うなっちょりますき、最盛期を過ぎて家格がちくと下がった時期に、こちらに移ったがかも知れません。が、今になると、あの、商店街の土地の方が価値が高うなったがぢゃあないですろうか。