要法寺町と国沢城〔212〕2003/11/14
2003年11月14日(金)快晴
今日も秋晴れ。朝晩の涼しさが、やっと秋めいてきました。とても気持ちの良い朝です。
さて、今朝は高知市の中心部、はりまや橋の少し西、堺町界隈をたつくりました。この辺りは、城下町建設の際に、堺から呉服商が来て店を開いた「堺町」や、山内一豊が土佐入国の前に支配していた遠州掛川の職人を連れて来て住まわせた「掛川町」、八百屋さんが立ち並んだ「八百屋町」などがありましたが、写真は、その町々に囲まれた「要法寺町」。山内一豊が、遠州掛川の山内家菩提寺「要法寺」をここへ移して来たことに由来する町名です。もっとも、その要法寺は、1687年に火事で焼けてしまい、鏡川南岸の筆山の麓へ移転していきました。その跡地は、周りの環境を反映して、職人さんや八百屋さん、魚屋さんなどがごちゃごちゃになって住んでいたそうであります。
この場所は、江戸期の前の戦国時代には、少し高台になっちょりまして、国沢将監の居城「国沢城」があったそうです。今の景色からは想像もつきませんが。
尚、戦国期の地検帳によりますと、今の城下町中心部は、「大高坂村」と「国沢村」の名称で検地されちゅう地域らしいです。