夜明け前の梅ノ辻から桟橋方面〔2119〕2009/02/02
2009年2月2日(月)晴れ!
今日も良いお天気でした。春みたいです。
ここは今朝、夜明け前の梅ノ辻。潮江橋南詰から南向いて撮影しました。この前方、青信号の光りゆう交差点が梅ノ辻。五叉路になっちゅうので、五枚花びらの梅を連想して梅ノ辻。梅ヶ辻とも言いますが、その名称についてはこのにっこりひまわりで、ひまわり太郎が「梅ノ辻問題」としてビッシリ取り上げちょりますきに、検索してみてくださいね。どうぢゃあちかまん話ですけんど。
で、その梅ノ辻から桟橋まで、電車が開業したがが明治37年で、潮江橋に電車が通って堀詰と桟橋がつながったがが明治39年。
明治40年の地図を見てみますと、この梅ノ辻界隈から鏡川沿いにいくらかの家並がありまして、あとは高知港に新しゅうにできた桟橋までは田んぼの中の線路。ですきに一直線。見事なまで、田んぼ以外はなんちゃあありません。昭和8年の地図でも、やっと高知商業学校が今の県民体育館の所にできて、今の南高校の所に競馬場が、そして南海化学さんの場所に「硫曹工場」とあります。それだっけ。
電車は、最初は伊野の紙などを運んで高知港から積み出す貨物列車としての役割も担うちょりました。ですきに、伊野まで電車がつながったがが明治41年というこぢゃんと早い時期ながです。とにかく京阪神への窓口が、この電車の南の終点の桟橋でした。田んぼしかなかった桟橋線の沿線、特に桟橋界隈には、戦後は工場が建ち並びました。が、あっと言う間の宅地化の波に押され、近年は工場も妙に肩身の狭いことになっちょります。最初は県が整備した工業地帯やったがですけんど。
そう言えば、戦前、この梅ノ辻に牧場があり、乳牛がどっしこ飼われよりましたが、空襲で焼けてしもうた、という話もあります。今の町並からは想像もできん、梅ノ辻から桟橋にかけての風情です。