三翠園様のはりまや橋〔2113〕2009/01/27
2009年1月27日(火)晴れ!
ここは三翠園様の庭。鷹匠町に立派に聳える三翠園ホテルですが、ここには戦争まで、山内家のお屋敷がありました。散田邸とも呼ばれた下屋敷。今でもその庭園は、その雰囲気を残しちょります。
その庭の南に、このようなオブジェがございます。かんざしの形をした橋。そう。はりまや橋ですね。
はりまや橋は、藩政期初期に豪商播磨屋宗徳さんのお店と櫃屋道清さんのお店をつなぐ私橋として架けられたがが始まり。で、幕末、純心お馬の物語の舞台となる訳ですが、その話はビッシリやっちょりますきにご存じですよね。
明治になり、よさこい節は全国に知れ渡っちょりました。明治41年に、欄干がかんざしの形をした鉄製の橋が架けられました。まだ道幅も狭く、なかなかの風情の橋。が、路面電車が高知駅方面につながることになって、その鉄製の橋は取り外されました。幅がこぢゃんと広い電車通りになったはりまや橋は、その後色んな形に変遷します。取り外された鉄製の橋は、この場所に欄干だけ移設され、昔の面影を伝えてくれたのでありました。
平成になりまして、はりまや橋周辺の整備に伴い、その鉄製の橋は現在の橋の東側に取り付けられ、ここにはレプリカがつくられました。
今、電車の通る橋の西側に、赤い欄干の太鼓橋が取り付けられ、観光客さんはこれがはりまや橋、ということで写真を撮ったりしよりますね。あの橋よりは、東側の鉄製の橋の方が100倍本物ながですけんどね。そして、はりまや橋を本物の観光地にするためには、やっぱし橋の下を川に戻さんといかんでしょう。まだ何年かかるかわかりませんが、センスある街づくりのために、こんな声を上げ続けていかんといかんです。街には水が必要ながです。