潮江天満宮から筆山を見上げる〔2105〕2009/01/19
2009年1月19日(月)快晴!
昨夜降った雨で、街は濡れちょります。が、夜明け前の空はすっきり晴れ渡り、素敵な月曜の朝になりました。気温もそんなに冷えこんじゃあせんので、日中はこぢゃんとぬくうなりそうな予感です。
ここは夜明け前の潮江天満宮。拝殿前の広場から、筆山の上のお月様を撮影してみました。手前の建物は潮江天満宮社務所。その社務所と筆山の間には道路がありまして、早朝でもなかなかの交通量。土佐道路から街中へ入ってくる道ですきに、ひっきりなしに車が行き交います。
明治時代の、河田小龍さんが描いた市街地地図を見ますと、潮江から神田方面には小さな道が抜けちょります。
筆山と神社の間は、静かな小径が通っちょっただけでしょう。
この筆山、山内家の墓所がある、高知市民お馴染みの山ですが、波瀾万丈の歴史をもつ山でもあります。遠く南北朝の時代には、南朝方の土佐の中心、大高坂松王丸さんが北朝勢と戦い、この山に立て籠もって決戦を行いました。
戦国末期には、長宗我部元親さんがここを陥として、本山氏との最終決戦に突入していきました。こないだうちの、鴻ノ森のお話の中で、ちくと触れさいてもろうちょります。
この筆山中腹に、昔ユースホステルやって、今、筆山文化会館という施設になっちゅう建物があります。十数年前、ここでバンドの練習をしよったひまわり太郎は、この管理人さんに話しを聞いたことがあります。管理人室で、夜、ひっとり居りよって、ふと後ろを振り向くと、落ち武者みたいな格好をした武士が立っちゅうことがあったそうです。そんなことがあってもおかしゅうない、そんな歴史を持つ山が、この筆山なのであります。