山田橋と山田町と純信お馬〔21〕2003/05/07
2003年5月7日(水)雨
今朝は市内江ノ口川沿いを走ってきました。二日酔いの身体に雨がとても心地よかったです、はい。
写真は、その江ノ口川に架かる「山田橋」。そして、この界隈は「山田町」と言われております。長曽我部元親が一時高知に城下町を作った際に、山田城(現香美郡土佐山田町)の城下町の住民を移して来たのが町名の由来です。
当時の都市計画は、とっても大胆に、そして速やかに実施されてます。山内の殿様が高知に城下町を作る際も、「浦戸町」「種崎町」「朝倉町」「弘岡町」「蓮池町」などなど、土佐国内で栄えた町から、商店や住民等をそのまんま移設してきてます。高知の方は、この町名で、どこから移して来たか解りますよね。なかなか大胆でしょ?
江戸時代、この山田橋の手前に番所があって、高知の城下町の、北の玄関口になっちょりました。よさこい節で有名な純信お馬が晒しものにされたのも、この番所ぢゃったそうです。