ここには五丁目の闇市がありました〔2055〕2008/11/30
2008年11月30日(日)晴れ!暑い!
今日もこれまた汗ばむような陽気。今日が最終日のカシオオープンゴルフも、天気が最高で良ございました。遼くん人気でなかなかの人出のようで、高知にとっては目出度いことです。
今朝は、鏡川をたつくりつつ、五丁目から中須賀、旭方面まで足を踏み入れてみました。ここは、五丁目から北へ抜ける道路。この道路には、平成11年までアーケードがあり、なかなか猥雑な雰囲気で賑わいよりましたですね。通称「闇市」。五丁目の闇市は、地域の皆さんの台所でございました。
この道路の中心部にからくり時計がありまして、そこに、この闇市の歴史のことが書かれちょります。
それによれば、戦時中ここは防災用の道路やって、戦後、進駐軍の命令により戦災被災者や引揚者対策の露天市がつくられたがやそうです。昭和22年9月からは道路の占有が許され、バラック建ての仮店舗がひしめくように建ち並んで、市内の代表的な戦後の闇市となったのであります。もちろん闇物資も売り買いされた訳で、戦後復興のモノが無い時代の実体経済を支えた場所でもあったのであります。アーケードもつくられて、なかなかの賑わいやったみたいですね。
その後、時代の変化とともに、地域の台所として欠かせんものとなったがですが、旭地区への巨大量販店の進出等で徐々に寂れていき、平成11年に取り壊されたそうです。その後、ご覧のような道路になって、闇市の面影も無いなってしもうたがですが、地元第四小学校の生徒さん達の要望により、闇市の歴史を書いたパネルが埋め込まれたからくり時計がつくられたそうですね。
ここから西へ、中須賀の路地を抜けていくと、昔ながらの雰囲気が満載で、こぢゃんと嬉しゅうなります。ひまわり太郎が子供の頃の街の雰囲気を今に伝える町並。闇市は無いなりましたが、この界隈の懐かしさ溢れる町並は立派な高知の遺産ながですね。