中島町はヒャクパーだらけ〔2031〕2008/11/06
2008年11月6日(木)晴れ!
ここは高知市内、中島町。自由民権運動とかでこぢゃんと活躍し、初代立志社社長、高知県議会議長、衆議院議長などを歴任、キリスト教徒として同志社社長もつとめた片岡健吉さんの家があった場所。「片岡健吉先生誕生の地」という碑が建てられちょります。1843年、土佐藩の上士である馬廻格の家に生まれた健吉少年は、西隣に住む6歳年上のワリコトシに鍛えられました。西隣の少年は軍事、兵学が大好きで、土佐藩の軍事畑を進み、戊辰戦争では東山道先鋒総督府参謀、土佐藩兵で構成される迅衝隊第司令として大活躍、明治の元勲となりました。戊申戦争時、まだ31歳の若さ。
その迅衝隊で、右半大隊司令、大軍監をつとめたがが片岡健吉さん。隣のワリコトシに引っ張られていったがでしょうね。
写真、左端に白い塀が写っちょりますが、あそこが隣のワリコトシ、乾退助少年が生まれ育った場所。戊辰戦争の際、甲府まで攻め上った際に、乾家の遠祖が武田信玄の重臣で甲州人に人気の高い板垣信形やったことを思い出して板垣姓に戻した、という有名な話があります。板垣信形は、昨年の大河ドラマ「風林火山」で千葉真一さんが名演しよった人物ですな。いや、千葉真一さんは去年の途中からJJサニー千葉というヘンテコリンな芸名に改名しちょりますが。
さて、この碑の立つ場所、この右手も全部、広大な100円パーキングになっちょります。2003年12月22日のにっこりでご紹介しちょりますが、その際には建物があってその前に立っちょりました。すごい変貌。で、この界隈を見回してみましたら、100円パーキングだらけになっちょりました。Jr.達は何でも略して言うので「ヒャクパー」と呼ぶ100円パーキング。妙に広々としてきた中島町界隈です。