高知海軍航空隊と神風特攻隊〔1990〕2008/09/26
2008年9月26日(金)雨のち曇りのち晴れ
朝のうちの雨もあがり、お日様がまぶしく輝く高知県地方。こぢゃんと蒸せます。
昨日ご紹介した写真の南側には、高知空港があります。その空港の南東の隅、フェンスのちょっと外側に、このような記念碑が建っちゅうがをご存じでしょうか。「鎮魂 高知海軍航空隊之碑」と刻まれちょります。この空港の南側に点在する7基の掩体壕についてご紹介した際に、ここに海軍の飛行場があったという話をしました。その場所が、現在の高知空港になっちゅうがですが、高知のヒトにもメッソ知られちゃあしませんね。
知られちゃあせんと言えば、あの神風特攻隊は、その高知海軍航空隊からもたくさん出撃しちゅうことも、皆さんメッソ知らんですよね。
元々、この海軍航空隊は、昭和19年3月に偵察練習航空隊として発足したもの。つまり偵察搭乗員育成の為の練習航空隊やった訳ですね。使われた練習機は「白菊」。それが、戦局の悪化に伴い、あの神風特別攻撃隊が編成されるのに伴い、「神風特別攻撃隊 菊水部隊 白菊隊」として編成されました。そして、この空港を飛び立って鹿児島の鹿屋特別基地へ向かい、そこから昭和20年5月から6月にかけて沖縄作戦で体当たり攻撃をおこない、26機52名の隊員が沖縄の海に散ったのでした。16歳、17歳の少年飛行兵も含んじょったそうですきに、本当に悲惨なことでした。
現在、空港の横に、高知海軍航空隊の元隊員の皆さんによって建立されちゅうこの鎮魂碑には、ここで使われ、神風特攻隊にも利用された練習機「白菊」の姿と、鎮魂の文章が刻み込まれちょります。
何の気無しに利用しゆう高知空港にも、こんな歴史があったことを、高知の皆さんにももっと知ってもらいたいですね。掩体壕の歴史とともに。