国庁跡と直道〔1988〕2008/09/24
2008年9月24日(水)晴れ!
こないだうちから、南国市、士島田遺跡の南海道跡が発見された話をしよります。今日もそのシリーズ。
あの官道跡から北へ(正確には北北東)1kmくらいの場所がここ。それこそ田んぼの真ん中、遠いところに車を停めて歩いて来んといかんような所に、さりげなく国庁跡がありました。このもうちっと北西に国司の住んだ館、つまり紀貫之さんも住んだお邸の跡がございます。写真のとっと向こう、左から二つ目の電柱の向こうが、例の官道跡。あそこからこちらに向こて、まっすぐな幅6mの道路があったということでしょうか。
ここから西へ数百メートルの場所に国分寺がありますが、方向から言えばたぶんこの界隈とまっすぐつながっちょったと見ました、ひまわり太郎は。
この案内板には、この界隈のホノギ名が書かれちょります。で、この案内板が立つ、まさしくこの場所がその名も「国庁」というホノギ名。クゲ、ウマヤノシリ、府中、内日吉、神ノ木戸などというホノギ名が、ここに国府があったことを教えてくれます。ここから北東、しゅっとのクに、土佐では最も古い時代、白鳳時代の寺院跡、比江廃寺跡がありまして、奈良時代のさらに前からこの界隈が土佐の中心地やったことがわかりますね。
この案内板の地図を眺めよって、「神ノ木」の西、「南屋敷」の南、「府中」の北に「直道」という地名があるがを発見しました。ビッシリ書きよりますが、当時の官道は直線につくられました。その直線の官道と、この直道というホノギ名とは関係があるがですろうか。