夏休みの追手前小学校〔1945〕2008/08/12
2008年8月12日(火)暑いですね
ここは夏空の下の追手前小学校。この北側が追手筋で、よさこいの本部競演場にもなっちゅうので、この時期こぢゃんと賑やかな追手前小学校。運動場にはよさこいの休憩所もしつらえられて、よさこいの街に完全に溶け込んじゅう追手前小学校。ひまわり太郎は、ここを三十数年前に卒業しました。
当時、このプールは無く、この、運動場の南側には木造2階建ての古い校舎が残っちょりました。この正面の体育館ができるまで、雨が降ったらその校舎でドタバタやりよりました。
音楽室もありました。教壇に赤いインクがこぼれてシミになっちょったので、赤い血に見立てて所謂「学校の怪談」の話をしたりしよったです。
正面の体育館ができたががひまわり太郎小学校1年生のとき。右手にちょびっと写っちゅう鉄筋3階建ての建物は、ひまわり太郎が生まれる6年前にできたものらしいです。当時は、その新校舎につながって東側に木造2階建ての校舎がありました。全校生徒が500名くらいの、高知の街のど真ん中にある小学校でした。
高知市の財政難等の理由で、今、高知市はこの学校を廃校にする方向に動きよります。で、南側のダイエー跡地も含めて、市街地活性化の切り札にしたいみたいがです。明治5年創立の追手前小学校、ひまわり太郎が小学生のときに開校100周年をやりました。今、校区から通う児童は70名ちょっとで、あとは「特認」制度を利用した校区外からの生徒。ですけんど、小学校というのは、地域の者にとっては、教育機関という位置付け以上のものがありますね。地域の重要な重要なコミュニティの中心地。昔は、こぢゃんと子供が多く、賑やかやった中心商店街は、今は郊外型ショッピングセンターに押されよりますが、ヨーロッパの街とかを見よりましたら、将来必ず人々の街中回帰が叫ばれ、子供が戻ってきて、学校を中心に楽しい安全な街が形成されていくと思うがですけんど。夏休みにもかかわらずよさこいでこぢゃんと賑やかな追手前小学校で、色々と考えました。