天神大橋、「のえくり」の謎が解けました〔1907〕2008/07/05
2008年7月5日(土)雨のち曇りのち晴れ
いやいや、昨日は四国地方梅雨明け宣言。早かったですね。これから夏本番、と、思いよったら昨夜から明け方にかけて降りましたね。意表を突かれました。
ここは、雨のあがった今朝の天神大橋。昨日と反対方向、西向いて撮影してみました。右手の河原は柳原。
幕末から明治の頃、この界隈の鏡川北岸の河原では、夏になると夜な夜な若者たちが繰り出して、涼をとりながら楽しみよった、というお話をしたことがあります。
そのなかで、前のヒトの腰に手をかけて、たくさんのヒトが連なって練り歩く「のえくり」というがが流行っちょった、てなお話を書きました。この話は、ひまわり太郎、どっかで小耳に挟んだことがある程度の記憶しかなく、どこを調べても「のえくり」のことを書いた文献に行き当たらんかったので、真相を知りたい、と、思いよりました。今朝、ここでこの写真を撮りながら、また「のえくり」のことを考えよったがですが、会社へ着いてみてビックリ。
ひまわり太郎が高知の歴史の師匠を仰ぐ谷是さんから、ご自身の講演のテープや、書かれた文章のコピーが届けられちょりました。その中に、鏡川界隈のことを書いちゅう文章がありまして、そこに、何となんと、「のえくり」のことが書かれちゅうではありませんか。今朝、考えよったばっかしでしたので、本当にビックリ。何かの縁ですな、こりゃ。その文章から。
幕末から明治、大正の頃、この界隈の北岸の河原はもっと広く、そこに、夏になると納涼場ができて、若者達の交流、遊興の場になっちょったそうです。男女の出逢いの場でもあったらしいですね。で、文章を転記しますと、「中でも特筆すべきはのえくりを称するもので、前の人の腰帯を掴み、長い百足のような行列をつくり、前の人の動きとともに帯状の長い人間の鎖をつくり、広い白洲のなかで、そこのけそこのけ、とばかり、大きなうねりをしながら、のえくる様は、面白い青年たちの遊技であった。」とあります。娯楽の少ない時代の、楽しそうな風習ですな。なかなか有名になって、土佐では一度は見たい、と言われた風物詩であった、とのことです。
思いも掛けず、あやふややった「のえくり」の記憶が検証できて、こぢゃんと嬉しかったです。河原をのえくりまわりたいくらい。