宝永町から大河ドラマを考える〔1904〕2008/07/02
2008年7月2日(水)曇っちょりますね
ここは早朝の宝永町。車も電車もほとんど通ってない電車通り。宝永町の電停から菜円場方面を撮影してみました。藩政期。この右手から菜円場にかけては新町、つまりニュータウンができて、ヒトが住み始めました。その向こうには、岡本寧甫さんの家やら中江兆民さんの家やら。南へ行くと高知の城下の台所、雑喉場やら立志社創立の場所やら、とにかく歴史的な場所がどっしこあります。
さて、再来年のNHKの大河ドラマ、またまた高知が舞台となる「龍馬伝」ということになったみたいです。めでたいこと。
で、またぞろ、各方面の皆さんが、これを高知の観光振興に利用しまくらんといかん、てな話をし始めましたね。いつか見た光景。ひまわり太郎、「功名が辻」の時も書きましたが、この際、高知の素晴らしさとは何ぞや、てなことをじっくりまったり考えて、ずうっと後々にまでつながる、そんな仕掛け、仕組みを考えんといかん、と、強く思いよります。目先の、スポット効果だけをねらう、高価なニセモノをつくるがはもうやめましょう。いや、ナントカ館みたいなニセモノを展示する施設はいらんがです。
龍馬に限って見てみても、田中良助さんちや日根野道場や和霊神社などなど、重要なスポットはどっしこあるがですが、ヘンテコリンなニセモノ施設をつくってそこへ観光客を誘導する。これは、本末転倒やと思うがです。いや、資料とかのホンモノをキチンと見せるがは、大切なことです。とにかく、ホンモノをブラッシュアップして見ていただくこと。ホンモノの迫力は、ヒトに感動を与えるのであります。こないだのはりまや橋考でも書いたですけんど、もう一回来てみたい、ヒトにもぜひ紹介したい、と思うてもらえる、感動を与えられる、そんな場所をわかりやすうに提供するがが、こぢゃんと大切ながやないですろうか。
功名が辻の時のことを踏まえ、学習せんといかんですね。うわべだけで体裁整えて目先の観光客を取り込む、みたいなことは後に続きません。高知には、素晴らしい遺産、史跡、文化、民俗、そしてヒトが存在します。実は、この「ヒト」が一番すごかったりするがかも知れませんね。
「龍馬伝」、せっかくの機会ですきに、高知の皆さん、今一度高知の素晴らしさ、歴史文化を勉強し直してみようではありませんか。ひまわり太郎も頑張ります。