JRの高架から比島を眺める〔1889〕2008/06/17
2008年6月17日(火)晴れ!
夏の雲がモクモクと空を覆う、梅雨の晴れ間の暑い日です。
今日は出張で広島へ向かいよります。土讃線の、大自然のなかをのったりまったり走る車両の中で、このにっこりを書きよります。エイですね、土讃線。四国山脈の山間を縫うように走る土讃線。この線路をつくったヒトは偉かった、と、いっつも思います。
高知駅が高架になって、もう、4ヶ月が経過しようとしよります。皆さん、利用されましたか?
いまだに、高架の線路から見る景色は新鮮で、面白いですな。高知駅を出て、ちょっとだけ東へ行った特急南風の車窓から撮影したのがこれ。
眼下に住宅が建ち並び、向こうに比島の大きなマンションが見えよります。今、改修工事をやりゆう最中みたいです。あの巨大なマンションは、比島の山に覆い被さるように建てられちょります。できたときはビックリしたですよね。比島は、山崩れとかの発生しやすい山で、ひまわり太郎が子どもの頃にも大きな山崩れと火災で大きな被害が出ました。その当時の新聞記事には、この山は崩してしまうしか有効な防災の方法は無いかも知れん、みたいなことが書かれちょったがを覚えちょります。その山の盛り上がりを利用して、巨大マンションができたのは、防災面からもなかなか良い判断やったかも知れません。
昔、中世の頃、今の高知市の市街地はほとんど海でした。その海に浮かぶ大きな島が7つ。浦戸湾七島ですね。今の五台山の「大島」、そして今も小山として残っちゅう「葛島」「田辺島」、地名だけしか残っちゃあせん「洞ヶ島」、山の芯だけが残されて記念碑だけになっちゅう「竹島」、今もちゃんと海の中に島として残っちゅう玉島、そしてマンションになってしもうた「比島」です。
この比島の近くに「中比島」というバス停があります。今、この周辺は再開発で、新しい道ができたりバス停が移動したりしよります。昔、中比島で使われよった停留所標識がありましたが、新しい標識ができたので必要無いなりました。そこで、「中比島」の「比」を何とか消して、土佐市の「中島」というバス停に再利用されよります。2007年4月22日のにっこりでご紹介しちょりますきに、バックナンバーからご覧になってみて下さい。消したつもりの「比」が、まだかなり読めるくらい残っちゅうがが嬉しい標識です。