羽田、穴守稲荷さんと平和の大鳥居〔1878〕2008/06/06
2008年6月6日(金)東京はだんだん晴れてきよります
今朝もまだ東京。昨夜は空港のそばに泊まっちょったので、今朝は羽田界隈をたつくってきました。
以前、モノレールの天空橋の駅の近くを車で通りよった時に、海に向こうて鳥居が屹立しちゅうがを発見して、こぢゃんと気になっちょりました。で、今朝はそこまで走ってみました。
この鳥居は、終戦まで、穴守稲荷さんの鳥居として参道に立っちょったものやそうです。今朝もお参りしてきた穴守稲荷さんは、戦争が終わって羽田空港が拡張されるまで、今の羽田空港の敷地内にございました。
1818年頃、現在の空港内の鈴木新田地区開墾の沿岸堤防が、海の浪によってびっしりぎっちり穴があいて堤防内が浸水したので、堤防上に稲荷大明神を村人達がお祀りしたところ、それから風浪の害がピタリとやんで五穀豊穣となった、ということで、穴から守るお稲荷さんとして尊崇されてきたのが穴守稲荷さん。
終戦後の昭和20年9月21日、米軍に接収された羽田空港が拡張されるため、羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町の3000人余りの住人は、48時間以内にこの土地から退去することを命じられたそうです。京浜穴守駅前のこの鳥居だけは、撤去しょうとしたら事故がおき、米軍もあきらめてそのままにしたそうです。空港の再拡張でここに移設されるまで、羽田空港内に、この鳥居は立っちょりました。
今、扁額には「平和」と書かれ、平和を願う大鳥居として、海に向こうて立つっちゅうのでありました。
今の穴守稲荷さん、朝からたくさんの善男善女が訪れよります。境内の奥之宮(お穴様)のお砂を持ち帰るとこぢゃんと御利益があるということなので、朝から持ち帰って幸せな気分になったひまわり太郎でした。