紀夏井さん、母代寺、父養寺、あじさい街道〔1865〕2008/05/24
2008年5月24日(土)雨ですな
今日は雨。シトシトと、朝から雨が降り続きよります。
今日は、南国工場と野市に用事があって行っちょりました。野市町は、市町村合併で香南市野市町になった、南国市の東隣の町。南国市の平野から野市の方面にかけては、太古も昔より、この土佐の国の中心として栄えてきました。古い遺跡やら史跡やらもどっしこ。
ここは、その中の一つ、紀夏井(きのなつい)さんの邸址。西暦866年と言いますきに古いですが、京で応天門の変がおこり、それに親類が関係したがに連座して、土佐へ流されてきた貴族、紀夏井さん。土佐には本当にどっさり、貴族から普通の罪人にいたるまで、流されてきました。
遠流の地やったですきね。その中でも、一番立派な人物やったががこのお方やないかと思われます。とにかく、全国の国司を歴任しよった頃には、赴任地の先々で善政を行い、地元民に慕われまくっちょります。讃岐では、紀夏井さんが国司をつとめた後、若き菅原道真さんが赴任してきて、夏井さんのあまりの評判の良さにこぢゃんとやりにくかった、という話が伝わっちゅう程。
実をつけはじめた枇杷の木の向こうに白い立て看板が見えますが、あそこから30mほど登った丘の上に、その、土佐での住まいがあったそうです。ここでも地域の住民に役立つような薬草作りとか土器作りを行い、またまた住民に慕われまくったそうですね。そして、その人柄を偲ばせてくれるがが、両親をこぢゃんと大切にしたというお話。
この界隈に「父養(ぶよう)寺」「母代寺」という地名が、今でも残っちょります。お寺はないですけんど。これは、夏井さんがお父さんお母さんを弔うためにつくったお寺の名残。今、父養寺に流れる農業用水の岸辺には、あじさいがたくさん植えられちょります。「あじさい街道」として、名物にしようと、地元の皆さんがお世話されゆうがですね。もうちょっとで咲き始めそうなあじさいが、雨になかで静かにたたずんちょりました。