馬場辰猪〔185〕2003/10/18
2003年10月18日(土)快晴
今日も素敵な秋晴れ。気持ち良く走ってきました。
昨日、ロマン派文学者馬場孤蝶をご紹介しましたので、今日はその兄の馬場辰猪にしましょう。ここは、高知市升形の通称「金子橋」界隈。この通りは「通町(とおりちょう)」ですね。右手の塀は名刹「称名寺(しょうみょうじ)」。浄土宗の古いお寺で、いろんな面白い試みをされよりますお寺ですが、このご紹介はまたの機会にしまして、本日は馬場辰猪。
左手の碑に、ここが馬場辰猪が生まれた場所であると書かれちょります。当然昨日の馬場孤蝶もここの生まれですね。
馬場辰猪は、1850年、武士の子としてここで生まれました。母親からいろはを習うたのが13歳の冬と言いますから当時にしても遅い学問の始めでした。
しかし彼は優秀でした。どんどんと頭角をあらわし、藩校「致道館」での成績がすぐれちょったので江戸で学問をするよう申し付けられ、福沢諭吉の門下生になります。その後、明治になって慶応義塾の教師となった後、高知藩留学生としてイギリスに渡り、都合7年間、英国で勉強しました。
帰国後板垣退助らと交わり自由民権運動の中心人物となりました。この頃には「洋行帰りの美男の弁士」として人気を博しちょったそうです。
板垣と衝突して自由党を離党した後、一度投獄され、釈放後アメリカはフィラデルフィアに渡りました。そして、アメリカで、日本の藩閥政治を批判、打倒への協力を訴える運動を展開します。外圧を利用して目的を達成しようという、今ではよくありますが当時としては斬新な発想ですよね。
アメリカでの演説の際には、家伝の武具甲冑を身につけて熱弁を奮ったとのこと。注目を集める演出も重要視しちょった訳ですね。たいちゃなもんです。