筥崎宮の朝〔1822〕2008/04/11
2008年4月11日(金)博多も晴れ!
そんな訳で今朝は博多。九州の博多。昨日、山陰から電車に乗ってやって来ました。太宰府かれこれで用事を済ませ、博多駅前の泊まっちょりました。で、初めて、早朝から、ここ筥崎宮へと走りに行っちょりました。福岡と言えばしゅっと思い浮かべるのは太宰府天満宮で、このにっこりでも何度かご紹介しちょりますが、ここ筥崎宮もかなり有名。筥崎八幡宮とも申す通り八幡様でして、同じ九州の宇佐八幡宮、京都の石清水八幡宮と並んで、日本の三大八幡宮と言われゆう由緒ありまくりの八幡様。今朝、初めて走りに行ってみて、その由緒と雰囲気に圧倒されてしまいました。
八幡様ですきに、もちろんご祭神は応神天皇、神功皇后。そして神武天皇の母の玉依姫命。その創建は、923年ということになっちょります。921年、醍醐天皇が「敵国降伏」のシン筆を下賜され、社殿を建立したのが始まりとされ、そのごシン筆は第一の神宝とされちゅうそうです。
本殿、拝殿は、天文十五年、つまり1546年に大内義隆さんが建立した、と言いますきに古井です。すごいですな。
拝殿前の楼門は文禄三年、つまり1592年にかの小早川隆景さんが建立。文禄の役と慶長の役の間ですき、その戦勝祈願と意味もあるでしょう。何と言うたちここ筥崎宮、蒙古襲来の日本側の防衛拠点になっちょりまして、社殿は戦火に焼かれてしまいましたが、神風によって蒙古を撃退した、その神威が戦国武将などに崇め奉られちょったのであります。
関ヶ原の後の慶長14年、1609年に、藩主黒田長政さんが建立したのが一の鳥居。この写真の立派な黒い鳥居がそれです。これもまた古くて立派で荘厳。
境内には、神木「筥松」もございます。そう言えば、応神天皇は九州で生まれちょりましたね。で、生まれたときの御胞衣(えな)を箱に入れ、この地に埋められたそうです。その目印に植えたのが筥松。箱のしるしの松ですきね。で、この場所が箱?と呼ばれるようになりました。この八幡宮が「筥崎宮」で、あまりにもおそれ多いので、地名とかには「箱」の文字を使うちゅうがやそうです。
とにかく、そこここのモノが全部古くで由緒があって立派で厳かで、素晴らしい筥崎宮でございました。