人呼んで日本橋〔1781〕2008/03/01
2008年3月1日(土)東京も晴れ!冷ようないです
そんな訳で今朝は東京。昨夜の飛行機で、出張に来ちょります。東京も、もう春の雰囲気。花粉がこぢゃんと飛び始めちゅうとのことで、そんな対策をされた方が結構いらっしゃる東京。今朝は、日本橋界隈をたつくってきました。
日本橋は、ご存じの通り、日本の街道、国道の起点になる場所。昭和11年に掲げられた銘板によりますと、徳川幕府ができてしゅっとの1603年、「諸大名に課して城東の海浜を埋メめ市街を営み海道を通し始て本橋を架す 人呼んで日本橋と称し 遂に橋名と為る」ということです。
つまり、ここから東は海浜で、そこを埋め立てて街を形成していった訳で、この橋は最初から「日本橋」やったという訳ぢゃあ無うて、「人呼んで」日本橋やったがが、そのまんま正式名称になったみたいに書かれちょります。最初っから、この界隈は何となく新しい江戸の、そして新しい日本の、中心地という雰囲気に溢れちょったがでしょう。ですきに、人は、日本橋と呼んだがでしょうな。
この「人呼んで」という言い回し、懐かしいですな、こりゃ。昔のヒーロー物とかには必ず出てきた言い回し、「人呼んで」。「人呼んで、鼠小僧とはおれのことよ!わっははは~」みたいに、自分ぢゃあ無うて、人が名付けた愛称、俗称が「人呼んで」なのでありますな。自分でつけるより、ちくと格が上になります。
さて。
現在の日本橋は明治44年につくられた、ご覧のような立派な欄干をもつ、日本の道の起点に相応しい美しい橋ながですが、それを高速道路が無粋に覆っております。まったくもってダイナシ。イメージがこぢゃんと暗うなりますな。そこで、現在、この首都高を日本橋の上から撤去する計画が進められゆうのは皆様ご承知の通り。日本人も、やっと文化とか歴史とかが関わる民度の大切さが解ってきたがでしょうか。そんな中、高知市では、歴史有る堀川を暗渠にしてしもうて道路をつくろうとしよります。街づくりとは何か。土佐人の民度が試されゆうような気もします。