福岡孝悌先生邸跡〔174〕2003/10/07
2003年10月7日(火)曇り
おはようございました。今朝は、ひまわり太郎、鏡川から高知城周辺をたつくってきました。昨日から朝晩結構冷え込んじょります。身が引き締まって、爽快ですね。
写真は、福岡孝悌先生邸跡。高知城の南、県庁から西へ少し行きまして、裁判所の所を南へ下ったところにあります。写真正面右手の6階建の建物は、建設が進む高知地方裁判所の新庁舎です。なかなかデカイですよ。
福岡孝悌は、幕末、土佐藩士として仕官、参政吉田東洋の薫陶をうけます。東洋が失脚から復活し、再度参政になった1859年には、「大監察」という重役に大抜擢されました。その後参政まで登りつめ、公武合体の調整に腐心します。
山内容堂公の命により、後藤象二郎とともに、15代将軍慶喜公に勧告、その功績で、明治新政府の参与になりました。
一番有名なのは、「五か条のご誓文」の起草に参画、「列候会議ヲ興シ」の文面を入れて修正させたことでしょうか。
この界隈にはエライ人の邸跡がどっしこあります。